「コンテンツのカロリー」という考え方

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最近の自分は、どうも昔ほどじっくり腰を据えて一冊の本を読んだり、一本のゲームをやったりということが少なくなっているように感じます。さらに言うなら、作品のチョイスにおいても、なるべく「自分の価値観を揺さぶられなさそうなもの」を選んでいるように思います。

それは決して歳をとったせいではなく、「より軽いもの」を好んで消費する方が精神的に楽だからです。

――と、以前から漠然と考えていたことを、的確に言語化しているブログ記事を見つけました。

「ABlog」では、そうしたコンテンツの「重さ」のことを「カロリー」に例えて、次のように述べています。

これは要するに、そもそも人間にとっては、たとえ娯楽といえど一冊本を読んだり映画を見たりするのは頭を使う、面倒くさい行為なんだ、と言う事なんじゃないかと思います。それでも人が何かコンテンツを消費するのは、人生が暇に満ちあふれているからなんじゃないかと思います。
 長期間の暇は人間にとって一番きつい事なので、暇が昂じると、『暇だから本でも読むか』『映画館にでも行くか』という気持ちになる。もうちょっと言えば、暇によって蓄積されるストレスが大きければ大きいほど、人はカロリーの高いコンテンツを好むのではないか、という気がします。
 食べ物みたいなものです。人間は空腹感、飢餓感が強いほどカロリーの高い食べ物を求め、逆に現代のように飽食の時代になると、カロリーの少ない食べ物を選ぶようになり、いつしかカロリーを憎むようになる。

「コンテンツのカロリー」とは、言い得て妙ですね。

たしかにこれだけ娯楽が飽和状態になっている現代では、ぼくを含め多くの方が「とりあえず取っ付きやすいもの」を選ぶ傾向があるように思います。

そして元記事で安倍さんが書かれているように、それは別に「どっちが良くてどっちが悪い」という問題ではないのでしょう。

......とはいえ、あまりにも軽いものばかりに偏ってしまうのも、それはそれで後に何も残らない気もしますので、たまには高カロリーなコンテンツにも手を出さなきゃなと思うのですけどね。


[いつからか僕の生活からは潰す暇がなくなった - ABlog]

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